2009年12月16日
菓子と健康
イギリスで、16歳以下に対するテレビ番組でジャンクフードをコマーシャルすることはできない。2007年、イギリス政府は、合成保存料の安息香酸ナトリウムと合成着色料の入った食品が、子供に注意欠陥・多動性障害(ADHD)を引き起こすという研究結果を受けて、ドリンクやお菓子にそれらが入ったものが多いとして注意を促し、2008年4月、英国食品基準庁(FSA)は注意欠陥・多動性障害と関連の疑われる合成着色料6種類について2009年末までにメーカーが自主規制するよう勧告した。ガーディアン紙によれば、この政府勧告による自主規制の前に、大手メーカーは2008年中にもそれらの食品添加物を除去する。自主規制対象のタール色素は、赤色40号、赤色102号、カルモイシン、黄色4号、黄色5号、キノリンイエローである。
2008年3月、これを受けて、欧州食品安全庁(EFSA)は、イギリスでの研究結果は1日あたりの摂取許容量(ADI)の変更にのための基準にはできないと報告した。しかし、4月イギリスは再び排除すべきだと勧告を行い、8月には欧州は摂取量の見直しをはじめこれらの合成着色料を含む飲食品に「注意欠陥多動性障害に影響するかもしれない」という警告表示がされることになると報道された。
中国の甜点心
文明の黎明期、同じような粉食文化が始まりながら、中国では菓子について独自の位置づけがなされ、点心としての発展を遂げた。
現代、世界で菓子として認識されている食品を、中国の食において一括りにするのは難しい。中国の食は、食事をするといった意である「吃飯」と、軽食をとると言った意味合いの「吃点心」に大別できる。吃点心の中でも、粉を練って作った皮で餡を包み込んだものを点心と言い、さらに甘味のものを甜点心としており、「月餅」や小豆餡の饅頭である「豆沙包子」などが良く知られている。同じく吃点心の中で、果物を意味する果子があり、果物の砂糖漬けや、果汁で作った糖菓子などはこれに含まれる。「杏仁豆腐」は本来は「吃飯」の菜で宴席料理の甜湯であるが、少量を供した場合は小食として吃点心としても扱われる。アイスクリームや氷菓は食では無く、飲に属し喝の冷飲として扱われている。
黄河文明期、紀元前3000年頃の仰韶文化期において石臼や杵が使用されており、穀類を砕き加工し調理する技術は中国でも古代から知られていた。だが、粉食が中国食文化に浸透しはじめたのは、前漢武帝の時代、匈奴を挟撃するべく大月氏に使者として送られた張騫が、紀元前126年に小麦とその製粉技術を持ち帰ってからとされている。北魏の末、500年頃の著作『斉民要術』には、粉食としての点心が詳細に記述されており、小麦を加工した「餅(ピン)」などの記述も見られるが、当時の製粉技術は石臼と杵であり、7世紀初頭から10世紀初頭に栄えた唐の時代、水車を使った大規模な製粉技術がもたらされて後、中国食文化が本格的に粉食主体となったと考えられている。さらに、唐時代はイスラム帝国が勃興する時代と重なっており、世界交易の拠点でもあった長安にはペルシア人も頻繁に訪れた。長安の都にはドーナッツのような揚げ物である「環餅」や「油餅」などを売る店が並び、ペルシア風の食べ物「胡食」が流行した。精糖技術も伝わり甜点心は更に発展した。茶を飲み点心・小食を食べるいわゆる飲茶という食習慣が全国に普及したのも唐の時代と考えられている。以降、元代には蒙古族の食習慣が取り入れられ、乳や酪といった素材を用いた甜点心が作られた。清代には満州族のお菓子「シャーチーマー」なども中国全土に広がり、また1840年のアヘン戦争に前後してヨーロッパの菓子も流入した。ビスケットは「餅乾」として普及し、ケーキは欧風菓子を意味する「西式点心」として区分されていた。
『ウィキペディア(Wikipedia)』引用
お菓子大好きだけど食べすぎはよくないようですね。
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